趣美人の那須高原ぶらり旅

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俗伝「那須与一と那須神社」そして「与一公の墓碑」を訪ねて!

皆さ~ん、那須と言う地名を聞いて何を連想しますか?・・温泉ですか、それとも四季の風景豊かな高原ですか?どちらも正解ですが・・・・那須の与一を連想する人はかなりの通かもしれません・・・・こんなお話知ってますか?

南無八幡大菩薩、とりわけ我が国の神々、日光大権現、宇都宮大明神、那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、願わくばあの扇の真ん中を射させてくれ給え、これを射損じる位なら、弓を折り腹をかきさばいて、再び人にまみえる心はありませぬ、今一度本国(那須)へ返そうと思し召されるならば、この矢を外させ給うな・・・・」 これは四国屋島の壇ノ浦の戦いで見事扇の的を馬上から射抜いた「那須与一」の有名な一節ですが・・・・正確には屋島の戦いであって壇ノ浦ではありません、与一が扇を射抜いたのは元歴2年2月18日で壇ノ浦の戦いは3月24日とされています・・・

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5月31日の「殺生石御神火祭」のあと、「那須野与一公」について気になりだして その足跡を辿って見ることにしました。先ずはじめは那須野が原の大田原市”金丸”にある「那須神社」又は「那須与一神社」とも言う、から・・・上下の写真は「大田原那須与一伝承館」にある与一公のモニュメントを題材に撮影したものです。その時の様子を彷彿とさせる雰囲気があると思いませんか?・・・

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弁慶を家来に従え源氏の義経は元歴2年(1185年)僅か150騎の軍勢で平家の大軍を背後から攻め立て船で海に逃れた平家と対峙、事態は一進一退が続き、やがて夕暮れ一艘の小船が近づき美しく着飾った女性が日の丸の扇を竿の先端に付け立ち、この扇を射ち落としてみよと挑発・・・・余談ですが当時源氏の扇は白地に赤丸、平家は赤地の金丸であったと言われている、もしも平家が逆だったならば今の日本の国旗は違っていたのかも・・・・推測ですが真意はかなり怪しい・・・

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今でいう午後6時頃、折しも北風が強く吹き、波も高く扇は少しも静止せず、沖には平家の軍船が舳先を並べ、浜には源氏が轡を並べその様子を見守っていた。与一は目をつむり・・南無八幡大菩薩~(前序)を唱え、矢を取ってつがえ十分に引き絞って放つと、浦一体に唸り響かせる程長い唸りを立て正確に扇の的中心要から一寸(約3センチ)の所を射抜いたとされています・・・・・距離がどの位あったのかは不明ですが・・・・それでも凄い・・・この時与一が射抜いた扇は厳島神社に奉納されていた高倉上皇奉納の扇だと云われています。最初に義経は畠山重忠にあの扇を射よと命じたが辞退し、重忠は那須十郎を指名するも固辞、そこでお鉢が与一に回ってきたといいます。平家の象徴とも言える高倉上皇の扇を射損じていたら一瞬にして名声が失墜する事は明らかな為、皆辞退したものと考えられる。その時与一は若干17歳とも20歳であったとも云います・・・・・

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那須の与一の誕生は那須氏の居城”神田城”現在の栃木県那珂川町で那須資隆(太郎・須藤宗資の子・・後に那須氏を名乗る)の十一男として誕生、十にあまる一から与一と名付けられた、父と九人の兄達は全て平家寄りであったが、平泉にいた源義経が戦勝祈願の為”那須温泉神社”に詣った折り、治承4年(1180年)那須岳で弓の稽古をしていた時に兄十郎為隆と与一に源氏方に従軍させる約束を交わした、これが与一と義経の出会いである。幼少の折から弓が達者で修行を積みすぎたため左右の腕の長さが違ったとも云われる・・・・のちのちの時代那須氏の本城は烏山城(栃木県烏山市)で、これは「信長の野望」ファンの為にも書き添えます・・・

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さて”那須神社”(金丸八幡宮)正式名は”那須総社金丸八幡宮那須神社”は屋島の戦いで候を上げた与一が那須家の総領となり土佐杉をもって文治3年(1187年)社殿を再建し社領を寄進しました。社宝には与一が奉納したとされる太刀がある。那須家の後は黒羽藩大関藩主の氏神として本殿、拝殿、楼門が再興されました。この楼門(写真)は2014年3月国指定重要文化財に指定されました。この神社には殺生石の”白面金毛九尾の狐”伝説に登場する三浦上総介義澄がこの社に祈願し妖狐を容易く退治することができたので、その弓を奉納したとも伝えられている。

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そもそも那須神社の創建は仁徳天皇の御代(313~399)の頃とされ、国家安寧を祈り、本殿裏手には”丸い黄金の財宝”を埋し塚として祠を祀ったとされ、今もその塚がある、那須神社の所在地”金丸”という地名はここから付いているらしい。

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さて那須与一公のお墓ですが、全国各地に存在していますが始めに京都即成院に造られたが分骨し「須峯山玄性禅寺」栃木県大田原市福原に一族とともに埋葬されています。以後代々那須家はここを本墓としています。与一公の位牌は那須郡那珂川町の「常円寺」にあります。また那須与一公の愛馬は那須町上半俵に「馬廻塚馬頭観世音」として祀られています。

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「玄性寺」には七基の那須家一族の墓碑があり、与一公は左から3番目、2番目は与一公の父(資隆)が眠っている。
よく歴史に登場する那須七騎とは別物で那須七騎とは戦国時代に那須氏に結集した(参考までに記すと”那須宗家・芦野氏・大田原氏・伊王野氏・福原氏・大関氏・千本氏)を云います・・・

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こちらが那須与一宗隆(後の資隆)公の墓碑

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「玄性寺」には与一公ゆかりにちなんだ弓道場もあります、それには与一公の家紋も記されています。与一公墓から那須神社までは10キロ、那須温泉神社までは40キロの地点にあります。もし皆さんも機会があれば訪ねてみたら如何でしょうか。・・・・
追加:滝ウオッチャーの私としては「那須氏」関係の滝はないものかと土地の古老に訪ねて見たら、ありましたよ「那須家」ゆかりの「滝沢神社」太田原市佐久山に「不動ノ滝」があると教えていただきました。規模は小さいですが立派な滝でしたよ。一応動画にしてみました・・・・・



結論として”那須”という地名については明確ではありませんがアイヌ語から来ているというのが有力であるようです。那須家は”須藤”の姓でしたが後に”那須”を名乗ったようです。・・・・・那須という地名は火山とも関係があるという面白い通説がありますが今回は省略いたします。・・・


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