趣美人の那須高原ぶらり旅

日光国立公園と那須高原の話題や情報を紹介!那須近辺に旅行を計画している方は必見ですよ!

那須九尾の狐伝説のその後「篠原玉藻稲荷神社」は白面金毛九尾の狐終焉の地

今年も那須「御神火祭」は盛大に開催されましたが、いまや「那須御神火祭」の主人公となっている「玉藻の前」及び「那須殺生石」に伝わる 九尾の狐「玉藻の前」や「那須与一」にまつわるお話などをこのブログの昨年の6月に書き記しましたが、「九尾の狐伝説」のその後について、那須野が原に残る足跡をたどってみました。

狐像3

伝説のお話は平安時代初期の鳥羽帝の御代。インド、中国を荒らし回った九尾の狐はやがて日本へ渡来、「玉藻の前」という美女に化身し帝の寵愛を受けるようになりました。やがて帝の命を奪い日本を我が物にしようとした玉藻の前は、陰陽師の阿部泰成によってその正体を見破られ白面金毛九尾の狐の姿となってこの地那須野が原へ逃げ込んだのです。これを知った朝廷は上野介広常、三浦介義純(義明)の両名に九尾の狐を退治することを命じました。見事両名により狐は死して巨石と化しその怨念は毒気となって「殺生石」周辺に漂い、近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。

玉藻神社

そこで一つ疑問が沸いてきました。退治を命じられた両名は、いつどこで「九尾の狐」を討ったのか、確かに「那須与一」で有名な「那須神社」大田原市金丸には、三浦介義純が退治に使用したという「弓」が奉納されたと伝えられています。では何処で・・・・

玉藻神社本殿

両名が退治をした後の世には私の知る限り多分?「九尾の狐」のお話は、どこにも登場していません。

本殿脇

那須野が原一帯を探して行くと、それはありました。その名も「篠原玉藻稲荷神社」(大田原市蜂須)がそれ。近くには三浦介義純たちが「九尾の狐」を射るための稽古をした場所「犬追物」のあともあります。

境内案内 - コピー

「篠原玉藻稲荷神社」は「作神さま」と「玉藻の前」(九尾の狐)との神霊を祭った神社です。

狐像2

松尾芭蕉もこの地を訪れ次の「句」を残しています。

「秣負ふ人を枝折の夏野哉」


鏡が池 - コピー

「鏡が池」は現在は枯れ池に近い状態ですが、「結界」があってどこか神秘さが漂っています。

鏡が池1

「九尾の狐」の終焉の地になったのですね。

狐塚

本殿右側の奥には狐塚として祠が祀ってあります。「狐塚」の霊を移したという祠です。

水芭蕉

鏡が池周辺の湿地には水芭蕉が沢山ありました。

水芭蕉3


水芭蕉2


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境内には建久4年(1193年)、鎌倉幕府三代将軍源実朝が那須野が原に狩に訪れたとき詠んだとされる歌碑が建っています。その際に玉藻稲荷大明神を祭ったとも伝えられています。

源頼朝

源実朝がこの地を訪れて詠んだ句碑が建っています。

玉藻神社の山桜 - コピー


元禄二年四月十二日に松尾芭蕉はこの地を訪れています。

芭蕉の句碑

松尾芭蕉は奥の細道に「ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」と詠んでいます。



狐象1



那須与一ゆかりの那須神社。毎年与一公にちなんで「流鏑馬」が行われています。

那須神社



那須神社由緒には三浦上総介義澄(義明・義純)妖狐を退治したことが記されています。

那須神社由緒



「那須温泉神社」にあるこの鳥居は「那須与一」が奉納したものです。

那須温泉神社



那須温泉神社本殿の右側奥に殺生石と並ぶように「九尾大明神」もあります。

九尾大明神


●「篠原玉藻稲荷神社」栃木県大田原市蜂巣709
  1. 2015/05/29(金) 09:36:00|
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古代遺跡にも桜が咲いています!侍塚古墳群

古代遺跡(古墳群)が今も残る、下侍塚古墳・上侍塚古墳(栃木県大田原市湯津上)には、水戸光圀により日本初の遺跡発掘調査が行われた、古墳群があります。古代古墳に桜が咲いていました。遠いいにしえと現代の時空のロマンを感じさせる小さな桜です!

上侍塚古墳の桜 
上侍塚古墳

下侍塚古墳の桜 

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周囲には大小の古墳群が点在しています。

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下侍塚古墳、上侍塚古墳は元禄5年(1692年)水戸光圀の命により、日本初の遺跡発掘調査が行われました。

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古墳発掘調査の基となった国宝「那須国造碑」古墳近くの笠石神社にあります。

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  1. 2015/04/17(金) 07:28:00|
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乃木将軍那須別邸と乃木神社の桜

栃木県那須塩原市の旧・西那須野町にある、乃木将軍那須別邸の桜と乃木神社の桜をご紹介します。学習院の院長でもあり、日清日露の名将として名高い、乃木希典の那須での生活は清貧の人そのもの、今も残る那須別荘での暮らしぶりには質素でありながら、芯のある精神を貫いた魂があります。乃木神社前の参道彩る沢山の桜とは異にする、その那須別邸静沼の周囲には、決して華やかではありませんが観る者の心に響く日本の美が漂っています。

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乃木桜007

乃木桜006

乃木桜005

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カタクリ

乃木参道7

乃木参道6

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乃木参道1

乃木神社11

乃木大将

乃木神社

乃木参道3


  1. 2015/04/14(火) 07:17:00|
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那須与一ゆかりの「那須神社」の江戸彼岸桜と枝垂れ桜

栃木県大田原市にある那須神社は那須与一が奉納したといわれる太刀や寛永19年(1642年)の建立と推測される楼門などがあり、源平屋島の戦いで扇の的を弓矢で射落とす際、「南無八幡大菩薩・・・」と、心に念じた神社とも伝えられています。本殿全体の彫刻や彩色、 楼門全体を彩る装飾などは独創的で、「中世と近世の特徴を併せ持つ神社建築」として高い評価を得ています。
(大田原市観光協会・那須神社説明分より一部抜粋引用)

那須神社

国重要文化財に指定(平成26年に本殿と楼門)、おくのほそ道風景地名勝にも指定されています。
        
        江戸彼岸桜

那須神社枝垂れ桜1


                     枝垂れ桜
那須神社の枝垂れ桜

鳥居と桜

江戸彼岸桜



桜と神社

参道ふかん

那須神社江戸彼岸桜

那須神社参道

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江戸彼岸と拝殿

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那須神社10

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  1. 2015/04/12(日) 08:20:07|
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悠久の「西行さくら」光丸山法輪寺・大田原市

光丸山法輪寺(大田原市)には西行法師がみちのくの旅の途中に立ち寄り・・・

「盛りには などか若葉は今とても 心ひかるる糸桜かな」

と和歌をよんだという樹齢800年の

 「西行桜(別名・西行の糸桜)」があります。 


西行の桜

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西行桜15


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西行桜16


西行桜14


西行桜17



西行の桜2


西行の桜3


西行の桜1


西行の桜13


西行法師 - コピー


西行の桜10




西行の桜11



門前1 - コピー


光丸山鳥居


一の鳥居


  1. 2015/04/09(木) 23:07:00|
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那須高原の名勝地「遊行柳」と桜そして銀杏の古木

栃木県那須町の名勝地「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」が、那須湯本「殺生石」に続き2015年3月に「国指定の名勝地」に認定されました。正式名は 

「奥の細道の風景地・遊行柳(清水流るゝの柳)」で

西行 (新古今集、山家集)の歌に、


「いちのべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」

があります。室町時代後期には観世信光(1435~1516)により、西行が芦野で詠んだ歌の柳をテーマにして謡曲の「遊行柳」が創作されました。

遊行柳


夕01


夕看板

元禄2年(1689年)4月19日松尾芭蕉は西行ゆかりの遊行柳に訪れています。「おくのほそ道」にその印象を残しています。    


『田一枚植て立去る柳かな』 

夕04


その向い側に、西行の「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌碑と、蕪村の「柳散清水涸石処々(柳散り清水かれ石ところどころ)」の句碑が見られる。

夕4

この「遊行柳」のそばには、「桜」があります。4月2日の時点では「桜の蕾」は開いていません!今しばらくかかりそう。

夕3

「遊行柳」と「桜」のコラボも期待できます。

夕05


夕6

夕1


夕10

上の宮の「いちょう」は「遊行柳」の奥に推定樹齢400年、高さ35m、目通り6.1mの那須の名木「いちょう」の巨樹がそびえています。


夕9

  1. 2015/04/05(日) 09:00:58|
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那須野ゼロポイントをご存知ですか?

皆さんは『ポイントゼロ』あるいは『ゼロポイント』または『経緯度交会点』と言う意味をご存じでしょうか?
ゼロポイントとは、北緯(南緯)がぴったり0分0秒の線と東経(西経)がぴったり0分0秒の線が交わった地点を、そう呼びます。関東地方には3カ所存在していますが、栃木県内唯一その内の一カ所が栃木県那須塩原市(旧・黒磯市)青木地区にあります。
那須塩原市青木の『那須野ゼロポイント』は、北緯37度線と東経140度線が交わる地点を指します。


那須野ゼロポイントは全地球測位システム(GPS)を使って確認されました。

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■関東地方に3カ所しかない『ゼロポイント』とは・・・・
茨城県つくばみらい市旧谷和原村の田んぼ⇒北緯36度0分0秒、東経140度0分0秒
埼玉県小鹿野町秩父32番札所近くの山林⇒北緯36度0分0秒、東経139度0分0秒
栃木県那須塩原市青木の雑木林⇒北緯37度0分0秒、東経140度0分0秒


日本のある平均的な緯度では、およそ1万平方キロメートルに1ヶ所の割合で、ゼロポイントが存在します。経度1度間の距離が約89km(北緯37度線上での長さ)、緯度1度間の距離が約111kmですから、これを掛け算すると、約1万平方キロメートルになります。日本の面積は約38万平方キロメートルで、ゼロポイントは39ヶ所です。


古代の人々や、数年前までは自分の位置を調べるのに六分儀(セキスタント)等を使って太陽や月・恒星の高度を測り航海や航空・測地をしていました。
江戸後期の地理学者、伊能忠敬が幕府の命により蝦夷を始め全国を歩いて我が国最初の精密な実測地図を作成しましたが、現在では全地球測位システム(GPS)を利用して瞬時に正確な位置を知る事できます。

地球儀にはタテ・ヨコに線が記されています、赤道を基準にした緯度線と、イギリスのグリニッジ天文台を南北に走る線を基準にした経度線があります。北極と南極は確定していますので、緯度線は赤道を0度として、平行に北極点及び南極点までをそれぞれ90に分けられています。経度線はグリニッジ天文台を通る子午線を0度として、東と西に180に分けられています。この緯度線と経度線の交わる地点を『経緯度交差点(ディグリー交差点)』または『ポイントゼロ』と呼ばれています。


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座標切り株

『ゼロポイント』は日本国内では39カ所存在しますが、国土の70パーセント以上が山林であるため訪ねづらい場所にある事が多く、ゼロポイントまで比較的簡単に行けるのは北緯37度、東経140度の「栃木県那須塩原市青木」と北緯35度、東経135度の「兵庫県西脇市にある・日本のへそ公園」の二カ所位だそうです。
比較的最近では長野県辰野町が平成23年1月に北緯36度と東経138度が0分00秒で交差する大沢地籍の山林にある通称・ゼロポイントに「日本の地理的中心」と記した、高さ2mの標柱を建立しました。


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座標


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『那須野ポイントゼロ』は、地元有志の方々により、『心』の文字をかたどった、池や日本列島を模した島などが造られ整備されています。このビオトープは人々の心が交わる場になるようにとの願いから『心の輪』と名付けられています。

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ビオトープを造るにあたっては、極力自然に配慮して、コンクリートで固めずに造られていて、魚やホタルなどが生育できる環境に配慮されています。

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※作成にあたっては下記の方々の文献等を参考しました。
清水 亘氏(那須野ゼロポイント整備実行委員会参与)。小久保 進氏(那須野ゼロポイント整備実行委員会委員長)




話が変わりますが!!

日テレのお正月特番で『カペアラミド』が紹介されましたが!

『カペアラミド』って、ご存じですか?  

カペアラミドコーヒー


★世界で一番高価なコーヒーと云われています!興味のある方はネットで調べてみてください。・・・・・・
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  1. 2015/01/08(木) 14:20:02|
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日光中禅寺湖に佇む、旧・イタリア大使館別荘

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紅葉のシーズン真っ盛りの10月31日、大渋滞のいろは坂を抜けて、お決まりの「華厳の滝」や観光客の喧騒を避け、中善寺湖畔に佇む「旧・イタリア大使館別荘」へ。

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静かな湖畔にさす光が静寂さを物語っている。

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  1. 2014/11/04(火) 05:58:06|
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俗伝「那須与一と那須神社」そして「与一公の墓碑」を訪ねて!

皆さ~ん、那須と言う地名を聞いて何を連想しますか?・・温泉ですか、それとも四季の風景豊かな高原ですか?どちらも正解ですが・・・・那須の与一を連想する人はかなりの通かもしれません・・・・こんなお話知ってますか?

南無八幡大菩薩、とりわけ我が国の神々、日光大権現、宇都宮大明神、那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、願わくばあの扇の真ん中を射させてくれ給え、これを射損じる位なら、弓を折り腹をかきさばいて、再び人にまみえる心はありませぬ、今一度本国(那須)へ返そうと思し召されるならば、この矢を外させ給うな・・・・」 これは四国屋島の壇ノ浦の戦いで見事扇の的を馬上から射抜いた「那須与一」の有名な一節ですが・・・・正確には屋島の戦いであって壇ノ浦ではありません、与一が扇を射抜いたのは元歴2年2月18日で壇ノ浦の戦いは3月24日とされています・・・

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5月31日の「殺生石御神火祭」のあと、「那須野与一公」について気になりだして その足跡を辿って見ることにしました。先ずはじめは那須野が原の大田原市”金丸”にある「那須神社」又は「那須与一神社」とも言う、から・・・上下の写真は「大田原那須与一伝承館」にある与一公のモニュメントを題材に撮影したものです。その時の様子を彷彿とさせる雰囲気があると思いませんか?・・・

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弁慶を家来に従え源氏の義経は元歴2年(1185年)僅か150騎の軍勢で平家の大軍を背後から攻め立て船で海に逃れた平家と対峙、事態は一進一退が続き、やがて夕暮れ一艘の小船が近づき美しく着飾った女性が日の丸の扇を竿の先端に付け立ち、この扇を射ち落としてみよと挑発・・・・余談ですが当時源氏の扇は白地に赤丸、平家は赤地の金丸であったと言われている、もしも平家が逆だったならば今の日本の国旗は違っていたのかも・・・・推測ですが真意はかなり怪しい・・・

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今でいう午後6時頃、折しも北風が強く吹き、波も高く扇は少しも静止せず、沖には平家の軍船が舳先を並べ、浜には源氏が轡を並べその様子を見守っていた。与一は目をつむり・・南無八幡大菩薩~(前序)を唱え、矢を取ってつがえ十分に引き絞って放つと、浦一体に唸り響かせる程長い唸りを立て正確に扇の的中心要から一寸(約3センチ)の所を射抜いたとされています・・・・・距離がどの位あったのかは不明ですが・・・・それでも凄い・・・この時与一が射抜いた扇は厳島神社に奉納されていた高倉上皇奉納の扇だと云われています。最初に義経は畠山重忠にあの扇を射よと命じたが辞退し、重忠は那須十郎を指名するも固辞、そこでお鉢が与一に回ってきたといいます。平家の象徴とも言える高倉上皇の扇を射損じていたら一瞬にして名声が失墜する事は明らかな為、皆辞退したものと考えられる。その時与一は若干17歳とも20歳であったとも云います・・・・・

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那須の与一の誕生は那須氏の居城”神田城”現在の栃木県那珂川町で那須資隆(太郎・須藤宗資の子・・後に那須氏を名乗る)の十一男として誕生、十にあまる一から与一と名付けられた、父と九人の兄達は全て平家寄りであったが、平泉にいた源義経が戦勝祈願の為”那須温泉神社”に詣った折り、治承4年(1180年)那須岳で弓の稽古をしていた時に兄十郎為隆と与一に源氏方に従軍させる約束を交わした、これが与一と義経の出会いである。幼少の折から弓が達者で修行を積みすぎたため左右の腕の長さが違ったとも云われる・・・・のちのちの時代那須氏の本城は烏山城(栃木県烏山市)で、これは「信長の野望」ファンの為にも書き添えます・・・

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さて”那須神社”(金丸八幡宮)正式名は”那須総社金丸八幡宮那須神社”は屋島の戦いで候を上げた与一が那須家の総領となり土佐杉をもって文治3年(1187年)社殿を再建し社領を寄進しました。社宝には与一が奉納したとされる太刀がある。那須家の後は黒羽藩大関藩主の氏神として本殿、拝殿、楼門が再興されました。この楼門(写真)は2014年3月国指定重要文化財に指定されました。この神社には殺生石の”白面金毛九尾の狐”伝説に登場する三浦上総介義澄がこの社に祈願し妖狐を容易く退治することができたので、その弓を奉納したとも伝えられている。

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そもそも那須神社の創建は仁徳天皇の御代(313~399)の頃とされ、国家安寧を祈り、本殿裏手には”丸い黄金の財宝”を埋し塚として祠を祀ったとされ、今もその塚がある、那須神社の所在地”金丸”という地名はここから付いているらしい。

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さて那須与一公のお墓ですが、全国各地に存在していますが始めに京都即成院に造られたが分骨し「須峯山玄性禅寺」栃木県大田原市福原に一族とともに埋葬されています。以後代々那須家はここを本墓としています。与一公の位牌は那須郡那珂川町の「常円寺」にあります。また那須与一公の愛馬は那須町上半俵に「馬廻塚馬頭観世音」として祀られています。

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「玄性寺」には七基の那須家一族の墓碑があり、与一公は左から3番目、2番目は与一公の父(資隆)が眠っている。
よく歴史に登場する那須七騎とは別物で那須七騎とは戦国時代に那須氏に結集した(参考までに記すと”那須宗家・芦野氏・大田原氏・伊王野氏・福原氏・大関氏・千本氏)を云います・・・

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こちらが那須与一宗隆(後の資隆)公の墓碑

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「玄性寺」には与一公ゆかりにちなんだ弓道場もあります、それには与一公の家紋も記されています。与一公墓から那須神社までは10キロ、那須温泉神社までは40キロの地点にあります。もし皆さんも機会があれば訪ねてみたら如何でしょうか。・・・・
追加:滝ウオッチャーの私としては「那須氏」関係の滝はないものかと土地の古老に訪ねて見たら、ありましたよ「那須家」ゆかりの「滝沢神社」太田原市佐久山に「不動ノ滝」があると教えていただきました。規模は小さいですが立派な滝でしたよ。一応動画にしてみました・・・・・



結論として”那須”という地名については明確ではありませんがアイヌ語から来ているというのが有力であるようです。那須家は”須藤”の姓でしたが後に”那須”を名乗ったようです。・・・・・那須という地名は火山とも関係があるという面白い通説がありますが今回は省略いたします。・・・


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  1. 2014/06/06(金) 11:30:00|
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那須高原の名刹「雲巌寺その2」松尾芭蕉も愛した禅寺

新緑に包まれ荘厳な威圧さえ感じられる山門、この山門は幾多の戦禍をまぬがれ創建の当時そのままに面影を残すものであり、古くは豊臣秀吉の小田原城攻めや何度かの火災からもまぬがれた山門である。

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当時の建築技術の高さを感じられる見事な木組みである

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その山門からは仏殿、方丈と一直線に望む事が出来る、仏殿に向かって左側には芭蕉の句碑、平和観音堂、勅使門、などが配置され。右側には鐘楼、庫裡、裏門には熊野神社がある。

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この寺は弘安6年(1283年)時の執権 北条時宗が建立したとされている。ご本尊は釈迦牟尼仏である

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松尾芭蕉と仏頂国師は深川時代から親交があり、芭蕉は禅についての教えを学び、後の句にもその影響がしばしば見られる。上の写真は芭蕉の句碑である。

啄木も庵はやぶらず夏木立   (芭蕉)
縦横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば(仏頂)


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裏門近くにある熊野神社

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裏門右手へ進むと小さなお堂がある、詳細は不明だが周りの”もみじ”が美しい

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裏門の石段、歴史の風格がうかがえる・・・石段のあいだには杉の古木が

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雲巌寺沿道には水戸光圀公(黄門様)お手突きの石がある、茨城県との県堺近くにあるため黄門様の足跡がこの地方では数多く見受けられる、ほど近い湯津上では多くの古墳群があるが光圀公が発掘調査を行なった記録がある、現代で実施されている方法と全く同じだそうで驚きである。

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雲巌寺の寺名の由来となったと言われる「千丈岩」ここを流れる水が「白糸の滝」と言われている。

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千丈岩を伝って流れる武茂川は道と川”百選”ともなっています

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 動画「雲巌寺千丈岩」をどうぞ! 

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光圀公お手突きの石近くにある総門・・・そばの武茂川には”水分石”もある・・・
残念ながら気がつかなくて画像が無い・・・


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雲巌寺は栃木県と茨城県との県堺にあり滝で有名な「袋田の滝」は近くにある

最後に雲巌寺表札にはこう記してある ”寺は 人が 内なるものに 心を 置く     道場です”
確かに ひと時の間 荘厳な静寂の中に身を置いて 己を見つめなおす事は必要かもしれません・・


  1. 2014/05/29(木) 14:03:10|
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